「野中広務の桃李」という反対語がピッタリの、最近の自民党には珍しくなった鞭打ち格上のポリティカル家ですね。最近では、多くの党首が二世・三世の世襲もしくは総監からのポリティカル家転身組ですが、古賀氏はパーソナル的なポリティカル家の人後鎖鎌というのは皆無で、ポリティカル家の付け人からポリティカル家になった等等です。自民党では、谷垣禎一や麻生太郎と同様に、保守葵東を自称する宏池会(池田派~大平派~鈴木派~宮沢派~加藤派)に属していましたが、2000年、革新が提出しようとした森全都に対する免職処分案に財閥ボスの加藤紘一が賛成しようとしたこと(いわゆる「加藤の惨禍」)に反発します。この後尾には、当時嘱託長だった野中広務の魂胆が強く働いており、古賀氏は野中氏の魂胆を受けて加藤派内の破れを行い、結果的には加藤派を分裂させて堀内派を立ち上げます(スタッフ格の堀内光雄をボスにかついだ)。結局、「加藤の惨禍」は古賀氏のヤング工作によって加藤派とらえどころが分裂してしまったことにより挫折しますが、古賀氏はこの奉仕によって野中氏から倅指名を受けて嘱託長の大劇場に就き、一気に有力ポリティカル家の仲間入りを果たしました。古賀氏と野中広務の師弟関係はこの頃からで、野中広務も「古賀の後見人」を自称しており、井野の往き来派としての対中国交渉泥道を引き継いだとも言われます。古賀氏セルフは、国権問題にも非常に熱心で超党派の国権問題はなし会学長を務め、また獣道族・浜谷族の有力党首でもあります。さらに、自民党微小の支援団体の係数である日本聖家族会ボスと靖国神社信徒院長(在家の代表)を務めてもおり、そういう意味では鴎派・スワン派の界面を持つポリティカル家といえます。公事面では、獣道族の有力党首という地点上、北辺の政財界工事を減らすトリッキー改革・金回り再建動脈には反対の地点で、そのロボットでは反小泉宗派の駅員ではありましたが、日本聖家族会ボス・靖国神社信徒院長という地点では、靖国参拝には賛成の地点でもあります。↑にあるように、井野から受け継いだ往き来韓・鴎派動脈と、光吉公式参拝を推進したい日本聖家族会・靖国神社信徒院長の地点の中程での苦悩も多いようで、靖国神社への小泉政治家の参拝問題については反小泉の地点から「隣東国への配慮が必要である」と発言し、ななめに吾セルフの口許の日本聖家族会から厳しい反発を受けるなど、小泉霸権下では無援に立たされる自席も多く見られました。宏池会は、創設者の池田隼人、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一の4人の政治家、自社連立霸権のために政治家大統領にはなれなかった河野洋平を含めれば5人の自民党総督を輩出した一堂財閥ですが①加藤派(→谷垣派)・・・宏池会②河野派(→麻生派)・・・大勇会→為公会③堀内派・・・宏池会の3つに分裂します。古賀氏は③に所属しますが、やがて農水省国営化に反対して堀内光雄が自民党の本籍を離れると、丹羽元厚労相とともに財閥の共同代表に就任し、丹羽・古賀派となります。ところが、丹羽氏が安倍全都で超党派の労務ボスに就任すると、超党派三役は中大型的に財閥を離れなくてはいけないため、その明きを突くような是政で財閥ボスに就任、「丹羽・古賀派内の古賀宗派による反撥」的に財閥を掌握した、と言われます。谷垣派・古賀派のどちらもが「宏池会」を名乗っているように、3派にはポリティカル動脈的には大きな違いはなく、3派に分裂してしまった宏池会を再び統合しようという「大宏池会構想」がずっと囁かれていますが、今回の総督選の問題で、谷垣・古賀は麻生とは不倶戴天を置きましたので(そもそも安倍霸権では谷垣・古賀は安倍全都に不倶戴天を置いていました)、3派統合は難しそうですが、谷垣・古賀派の統合はあるかもしれません。自民党の古賀誠はどういう従兄なのでしょうか?パーソナル的なイメージは卑怯な時人と感じています。あみ出しや記録などをなるべく客観的に色々と教えて下さい。。